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翻訳こぼれ話(2)

翻訳こぼれ話(2)契約書

 

 

米では取引にあたって契約書が行き交います。ビジネスにおいては契約書がなければ何も始まらないといっても過言ではないでしょう。

 代理店契約、売買契約、請負契約、ライセンス契約、開発契約、運営条件契約、信託契約、設計契約、危険負担契約、等々、思いつくままあげてみてもすべてのビジネスが契約によって成り立っています ― 当たり前といえば当たり前のことですが。
 もちろん日本でも契約書を基本とすることには変わりはありませんが、私たちの日常のレベルでいえばそれはかなり「あらたまった」事柄の中に入ってしまうのではないでしょうか。

 私はもちろん単なる翻訳者にすぎませんので、リーガルな面で語る資格は一切もっておりません。その点はどうぞくれぐれもお間違えのないように願います。 ただ、様々な契約書を訳していく中で感じたことをいくつかあげるとすれば、欧米の契約書というのは実に具体的に条件をあげていくものだということです。たしかに不動産の売買契約のようなものであればかなり定式化された契約書の型がありますが、そういったものを別にすればすべて一件一件が非常にユニークでオリジナルな契約書になるということです。

 


 
契約書の中でも特に際立っているのがエンターテイナーの出演契約の類でありまして、さる大物のエンターテイナーの場合など、送迎には必ずリムジンを使うこと、食事にはチキンをメーンにしたものが週何回(わりとチキンがお好きな方のようでした。ダイエットでしょうか)とか、かなり細かいメニューが入っていて、最後に、ま、だいたいこのようなものでお願いしたい、と結ばれています。これだけ細かく指示しておいた後で「だいたいこのようなもの」はないと思いましたが、確かにここまで丁寧に指示しておけば間違いはないでしょう。

 ついでにいいますと、ステージの裏で用意するミネラルウォーターにしても「冷やしたもの」と「あまり冷えていないもの」を両方お願いする、とあります。それを用意するテーブルもかくかくしかじか、並べ方はこれこれ----と、ここまでくると、ただ訳しているだけなのに、当日になってこのエンターテイナーをお迎えしたとき本当に遺漏のないように準備できるかとこちらまで心配になってまいります。些細なようにみえても、このようなことが非常に重大な事態に発展する場合だってあるかもしれません。

 むろんさすがにこのような個所については「決してcriticalな条件ではないが、」という意味の文言も添えられていますが、もしそれがなければ、なにかトラブルがあった場合にはこの部分に違反したということで、交渉が不利になるといったことだって考えられなくはありません。いったん署名したからには契約書は絶対だという話もよく聞きます。とくに具体的な事例があげられている場合にはその文言を指摘されると言い反す術がありません。

 

 
これが商品の売買契約などになりますと、デリバリーの遅れについて厳しい規定が定められ、ペナルティが課せられる場合もあります。しかし、いくら万全を期していたとしても時にはそれがどうしても不可能になってくる場合もありましょう。不可抗力というものです。この不可抗力について、どういう事柄が不可抗力とされるのか、それがまた具体的に示されます。

 たとえば天変地異ひとつとっても地震、洪水、台風、大火災(山火事なんていうのもありました)などがあげられ、労働争議ではストライキ、ピケ、サボタージュ、また港湾のエンバーゴ、国内の暴動、クーデター等々と、これだけでページの3分の1を費やしていた契約書もありました。そこでは様々な国内事情によりそういった出来事がかなりの確実性をもってありうるということなのでしょう。そしてとにかく考えられるかぎりの事例を連ねたあげく、「その他、売主の制御能力を超える不可抗力をいう」などという言葉で締めくくられます。これだけ例をあげておけば、なにかあれば必ずどれかにあてはまるに違いありません。

 

 

 
 そもそもビジネスにおいて契約書というのはそれまでに重ねてきた交渉の結果を明文化するものですから、内容はすべて前もって口頭で合意されていたはずで、実際のところ何も問題が起こらなければ普段はとくに思い出すこともないでしょう。しかしいったん事が起こればやはり契約書がものをいいます。

 以前、「日米間で解釈の食い違いが出てきたので、その問題個所の正確な訳が欲しい」と依頼してこられたお客様がいらっしゃいました。ほんの10行ほどの個所ですが、商品の価格に関わるたいへん重要な部分です。当時、為替の変動が激しく、その変動幅によっては商品の価格はがらりと変わってしまいます。契約書ではそれを見越した上で「為替の変動幅が10%を超える場合にはあらかじめ決められた一定の計算価格を適用する」といったことが盛り込まれていました。これはお気の毒ながら結果としてそのお客様の不利になるような内容だったと思います。なにか勘違いされたのか、あるいはその時の状況からとうてい予測できないトラブルだったのか、それはわかりませんが、英語の契約書では解釈言語はまず間違いなく英語となりますから(venue-裁判地と同様、もちろんこれもちゃんと明文化されています)、この場合は反論もし難かったのではないかと想像いたします。

 建築関係などになりますと、これはおそらく日本でも同じなのかもしれませんが、請負契約がそのまま仕様書の形になっていることもよくあります。これには工事内容の詳細や工事資材なども細かく規定され、それに伴うExhibitやSchedule等の証拠書類や一覧表などの添付資料が契約書の一部を構成します。

 とにかく契約書というのは大事なものです。けれども、見方を変えればこれはたいへん便利なものかもしれません。契約書を単に形式的なものにせず、互いに譲れないところをそこで明確に規定しておきさえすれば、それによって不要なトラブルを未然に防ぐこともできるのではないでしょうか。

 

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