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菅元首相の名誉棄損訴訟 

      2018年(平成30年)8月

 
 

 いつも拝聴しているKYO HIRAKAZU氏の2018716日付のFive Minutesで、菅元首相が安倍総理に対し行っていた名誉棄損の訴訟において最高裁の判決が出たと報じておられました。

 安倍総理の勝訴でした。

 そもそも菅氏が安倍総理に対しそんな訴訟をしていたということ自体まったく知りませんでしたので驚きました。これは昨年の話なのですね。

 単に私が知らなかっただけなのかもしれませんが、メディアはほとんど報じていないような気がします。

 それにしても、当事者がリタイヤされたあとならいざ知らず、どちらも現職の議員であり、かつ原告の菅氏はご自身も首相の座にあった方ですからその職がどれほど忙しいものであるか十分ご存知のはずでしょう。

 名誉棄損の訴訟など、今やるべきことでしょうか。

 この方にとってご自身の名誉棄損は国民の事柄より高いプライオリティーをおもちのようです。

 次に、この訴訟がどのようなものであったのか。これもインターネットの時代、誰でも判決文の原文を読むことができます。

平成27123日 判決言い渡し

メールマガジン記事削除等請求事件

1.原告の請求をいずれも棄却する。

2.訴訟費用は原告の負担とする。

平成28929日 判決言い渡し

1.本件控訴を棄却する。

2.控訴費用は控訴人の負担とする。

そして、

平成29221

決定

本件上告を棄却する。

本件を上告審として受理しない。

上告費用及び申立て費用は上告人兼申立人の負担とする。


 このように、まず第一審の判決を不服として控訴し、その控訴が棄却されたので上告し、最後に上告が棄却され、決定となったわけです。

 さて、その内容ですが、この訴訟は「メールマガジン記事削除等請求事件」と称されるもので、私はこの判決文を頭の体操のつもりで読みました。

 いやもうこれはトライアスロンに匹敵するぐらいかなり激しい脳体操でした。

 焦点となるのは、福島原発事故における海水注入あるいはその停止が誰の指示だったか。

 判決文は三つまとめてダウンロードしたものですから、ちょっと混乱してしまいました。

 平成27年の判決文は「原告と被告」、平成28年の判決文は「控訴人と被控訴人」、平成29年の最高裁の決定は「上告人と被上告人」、と、いうところを見て混乱を防ぎました。

 いずれにしろ控訴も上告も棄却されたわけですから、平成28年の判決文を読むだけでよいと思います。

 この判決文は素人が読むときにはせめて目次が欲しいですね。読んでいるうちにどちらの言い分かわからなくなってしまうことが多々ありました。

 そこで、自分で目次をつくり、今度はひとつずつ確認しながら読んでいきました。最終的には裁判所の判断を確かめるためのものですから、「第3、争点に対する判断」を読み込めばよいと思います。

 これを読めば事実として認定されている部分が確認でき、あの混乱のさ中にあった指導者たちの動きがよくわかります。

それにしても、

「おまえ、うるせえ、官邸が、もうグジグジ言ってんだよ」などという文言が裁判所の文書の中に書き込まれていると思うとつい笑いがこみあげてきます。

 さて、最終的に安倍総理側の勝訴となったわけですが、この中で興味深いのは、裁判所が被控訴人つまり安倍総理側の主張を退けている箇所です。

 その主張はいくつかありますが、要するに安倍総理側は、この記事は菅元総理の社会的評価を低下させるものではない旨主張しており、そのいくつかの主張はすべて、

「しかしながら」という前置きで

...一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すれば、本件記事は内閣総理大臣としての控訴人の社会的評価を低下させるものということができる。」

と、いうふうにして、ひとつひとつ丁寧に退けられているのです。

 面白いですね。安倍総理側は「いや、これは控訴人の社会的評価を低下させるものではありませんよ」と言っておられるのに対し、裁判所側は「いや、これは低下させるものだ」と断定しているのです。

 この退けられたという安倍総理側の主張のひとつをご紹介すると、たとえば被控訴人すなわち安倍総理側は「本件記事を掲載した本件メールマガジンの配信前に、テレビの報道番組において本件記事と同内容の報道がされており、同報道によって既に控訴人の社会的評価が低下していたというべきであるから、本件記事によって控訴人の社会的評価が低下したとはいえない。」

 これはつまり、すでにもう低下しているのだからそれ以上、低下させるものではない、ということになりましょうか。なんかこれはきつーい冗談みたいです。

 それに対して裁判所は、直前のテレビ放送はテレビ局一社が2分程度この海水注入について言及していたにすぎないから、まだこの事実は広く国民に知れ渡っていたということはできない、だからこのメルマガが社会的評価を低下させたという認定判断を左右するものではない、と、まあくだいていえば「そっちが追い打ちをかけたんでしょ、だ、か、ら、低下したんじゃないの」と、断言していることにもなりますね。

 私はそのメルマガを読んでおりませんが、この判決文を読むかぎりではこの判決文そのものが控訴人の社会的評価を低下させるものだと思いますね。

 ただし、これが「一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断する、」というところにあてはまるかどうかは微妙なところかもしれません。

 私は一般の読者ではありますが、普通の注意と読み方ではこの判決文は読めません。

 これはかなりの気合いを必要とします。

 そして、ここで肝心なことは、社会的評価を低下させたことと、それが名誉棄損という不法行為になるかどうかとは別問題だということです。

 素人からすると、記事が事実に基づいているかどうか、もしく事実であると信じるに足るような状況であったかどうかを明確にするだけで十分じゃないかと思うので、なんでこんなところで社会的評価が低下するかどうかをいちいち争うのか腑に落ちないところがありますが、これはおそらく名誉棄損の訴訟の場合にはどうしてもこういう形になるのでしょう。

 その社会的評価の低下が事実の誤認によって引き起こされたものであれば問題だということなのでしょうね。

 現実には事実の誤認によって社会的評価が高まる場合だってあるでしょうが、「事実誤認によって自分の社会的評価が高まってしまった」なんて訴訟を起こした人の話はあまり聞いたことがありません。

 いずれにせよ、この判決は、被控訴人のメルマガが控訴人の社会的評価を低下させたことは間違いない。しかし、そこに違法性はない、と断じている、ことになります。

 ついでながら、まさか裁判所の判決文に誤植などがあるとも思えませんが、次の個所はやはり間違っていると思われるのですが、いかがでしょうか。

 ひとつ、控訴人の主張の中で、18頁の最初のほう、「控訴人は、衆議院議員であり、元内閣総理大臣という地位にありながら、例えば国会の委員会で質問する、質問主意書を提出するなどといった事実確認のために当然行うべき手段を執っていない。何よりも、事実確認のために必須の要件である反対取材、すなわち控訴人本人に対する事実確認を全く行っていない。この程度の貧弱な事実確認で相当の理由があったと認めることはできない。」

 この最初の「控訴人」は「被控訴人」ではないでしょうか。元内閣総理大臣という地位にありながら云々の元総理というのは当時は野党であった安倍議員、現内閣総理大臣(2017年現在)のことですね。

 ふたつ、39頁、4の争点2(真実性または相当性の抗弁の成否)についてのかっこ(4)のところですが、

 最後の後ろから4行目、「したがって、控訴人が本件記事を公表したことについては、違法性を欠くものというべきであり、本件メールマガジンの配信が控訴人に対する名誉棄損に当たることを前提とする控訴人の請求は、理由がない。」となっていますが、「控訴人が本件記事を公表したことについては」のこのくだりーーここの「控訴人」のところも「被控訴人」の誤りだと思うのです。

 ちなみに「違法性を欠く」という表現は素人には違和感があって、訴えている側に対して争点を明確にするために法律ではこういう言い方になるのかもしれませんが、素人の頭ではこの部分はなにか「正当性を欠く」とか「相当性を欠く」というよう勝手に変換されてしまい、「違法性を欠く」というのは「違法性がない」という意味だということを把握するのに時間がかかりました。

 それにしても、あの危機的状況において、刻一刻と情勢が変化する中で、いちいち説明しているひまなどなかったはずです。菅元総理ご自身をはじめ、誰もが淡水が枯渇すれば海水を使うということについては納得されていたのでしょう。にも拘わらず、命令を受ける前に吉田所長が海水注入を開始したことを報告されて、「俺は聞いていない!」と声を荒げられた。

 たしかに中止しろとおっしゃったわけではないでしょう。でもそれは「官邸のグジグジ」と翻訳されて伝わったのです。

 あの危機的状況の中、何よりも海水の確保を始めとして全力を賭して吉田所長を支えることが後方にいるものの務めだったはずです。沈着冷静であるべきはずの最高指導者が感情にまかせて不必要な質問を投げかけ現場に混乱をもたらした。このような判断力で国民を守ることができるのでしょうか。

 この方のプライオリティーはどこにあるのか、私ですら疑問に思います。

 「英断」という言葉は亡くなられた吉田所長にこそ捧げるべき言葉でしょう。

 なお、判決文と見出しは私のホームページにも載せてありますので、気力のある方はぜひご一読くさい。「控訴人の主張」と「被控訴人の主張」、そして「裁判所の判断」と、色分けでもして読まれるほうがわかりやすいと思います。

 ものすごく脳みそを使うことになると思いますが、読み込んでいくと、へたな推理小説より面白いかもしれません。

判決文 (PDF)

平成27年12月3日(原審)

平成28年9月29日 (控訴審)   見出し 

平成29年2月21日 (上告棄却)

 

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  杉原千畝氏のこと 2018年(平成30年)8月  
     

 リトアニアのカウナス領事館に赴任しておられた杉原千畝氏は日本政府の指示に反してユダヤ人にビザを発行し、多くの命を救った方ということで美談になっています。

 しかし、つい先日、2013年のYouTubeのビデオ、渡部昇一氏と馬淵(まぶち)睦夫氏の対談をお聞きし、また驚いてしまいました。

 日本政府はユダヤ人のビザ発行を許可していたというのです。

 そんなあ、私はカウナスにも行きました。日本人は私しかいないツァー旅行だったので、記念館には行きませんでしたが、滞在中はずっとそのことを思っておりました。

それが違っていた、と。

 ただ、お話を聞いて私がずっと感じていた疑念が解けました。

 そもそも日本政府の許可なくしてそんなことができたのか。これが私にはちょっと腑に落ちなかったんですね。いくら戦時中でも、一枚二枚ならともかく、日本の役所でそんな勝手なことができるのか。

 馬淵氏は、「私もそういう現場にいたものとして言いますが、そんなこと、できるわけがないでしょ」と、ばっさり。

 そしてもうひとつの疑念 -- そもそも日本政府の許可を得ていないビザが有効だったのか、それについても馬淵氏は、

「だいいち、(日本政府の許可のないビザで)日本に入れるわけがないでしょ」

 そうですよねえ。これは実に納得のいく話でした。

 ちなみに、アメリカのホロコースト記念館のホームページに杉原千畝氏の記事がありました。読んでみると、意外にもそう出鱈目でもなく、うまい書き方をしているなあというのが印象でした。

In the absence of clear instructions from Tokyo, he granted 10-day visas for transit through Japan to hundreds of refugees who held Curacao destination visas.

 明確な指示を欠いたままIn the absence of clear instructionsというところが、美談では「日本政府の命令に背いて」と、ぐーんと引き延ばされています。

 しかし、そもそもこの二年前の1938年には、満州のソ連領オトポールで、樋口季一郎師団長によってユダヤ人脱出のためのヒグチ・ルートが開かれているのです。

 東条英機は樋口師団長の判断を是認し、ドイツの抗議に対しても屈しなかったといいます。ということは、すでにその先例があったということです。

 杉原氏は書類の不備を見逃して1800通あまりのビザを発行しました。それは杉原氏の判断であり、ユダヤの人々をできるだけ助けたいと思われたことに間違いはないでしょう。そして1800枚のビザを発行した時点で杉原氏は東京から無電を受け取りました。

After Sugihara had issued some 1,800 visas, he received a cable from Tokyo reminding him: "You must make sure that they [refugees] have finished their procedure for their entry visas and also they must possess the travel money or the money that they need during their stay in Japan. Otherwise, you should not give them the transit visa."

In his response to the cable, Sugihara admitted issuing visas to people who had not completed all arrangements for destination visas. He explained the extenuating circumstances: Japan was the only transit country available for those going in the direction of the United States, and his visas were needed for departure from the Soviet Union. Sugihara suggested that travelers who arrived in the Soviet port of Vladivostok with incomplete paperwork should not be allowed to board ship for Japan. Tokyo wrote back that the Soviet Union insisted that Japan honor all visas already issued by its consulates.

 それは「避難民たちが入国ビザの手続きを済ませていること、また避難民たちが旅費もしくは日本滞在中に要する金を所持しているかを確認せよ。それがなければ通過査証を与えてはならない」というものでした。

 その無電に対する返信で、杉原氏は目的地のビザの手続きが不備であった人々にもビザを発行してしまったことを認めました。そして、情状酌量の事情を説明しています。すなわち、米国に行く人々にとっては日本が唯一可能な通過国であり、ソ連から出発するには彼のビザが必要であるということ。

 そして、ここからが少し理解し難いのですが、

「杉原氏は、ウラジオストックのソ連港に到着した旅行者で書類が不備なものは日本行きの船には乗船させないよう示唆しました。」と記述されています。

 これはこの無電を受け取ったので、「不備なまま発行してしまったが、止めてください」ということでしょうか。

 それに対し、東京からまた返事が来て、「ソ連側は、日本は日本領事らがすでに発行したすべてのビザを尊重するよう、主張している。」となっています。

 後にソ連はリトアニアからの出国を禁止したようですが、まだこの時点ではこのビザを持った人々は出国できたようです。

 それはともかく、このように書類や所持金を確認せよという日本政府からの無電があったのは事実でしょう。ということは、杉原氏の判断で条件を緩和したのは確かでしょうが、日本政府はユダヤ人に対しビザを発行することを認めていたということです。そして政府は書類の不備も容認していることになります。

 杉原氏ができるかぎりユダヤ人を助けようとされたのは確かでしょう。

 しかし、ここで「日本政府の命令に反して」という要素を取り除くと美談としてはインパクトが欠けてしまいます。

 なぜこれが美談としてここまで広まったかについての馬淵氏の解説も「へえ、なるほど」というものでしたが、その闇の深さにため息が出てしまいます。日本はドイツと同盟を結んではいましたが、ナチスのユダヤ人迫害を認めていたわけではない、にもかかわらす、そこでひとくくりにして印象づけようとされているのです。

 杉原氏はご家族とともに戦後ソ連に拘束されましたが、ロシア語も堪能でソ連通の方ですから、待遇はそう悪くなかったようです。

 When Sugihara returned to Japan in 1947, the Foreign Ministry retired him with a small pension as part of a large staff reduction enacted under the American occupation.

 1947年に日本に帰国したら外務省は杉原氏を雀の涙ほどの年金をつけて退職させた、とありますが、これは占領下のリストラの一環ですから杉原氏だけのことではありません。

 しかし、with a small pension という言葉が入るとなにか氏だけが不当に冷遇されたかのような印象を受けますね。そもそも命令違反などしていたらもっと厳しい罰則にさらされたのではないでしょうか。命の恩人が不遇な目にあっているということをアピールしてせめてご家族に何か報いたい、ということで記述したのであればそれはそれで結構なことだと思いますが、

「戦後、職を転々として」というくだりも、それはあの時代、誰もが味わった苦労ではないかと思います。

 Sugihara held a variety of jobs after the war including one for a Japanese trading company in Moscow from 1960 to 1975.

 結局のところ、この記述自体はそれなりにまともなのかもしれませんが、印象操作というのは本当のことを交えながら脚色されていくようです。

この馬淵氏のお話のビデオは2013年のもので、私がそれを拝見したのは2018年の8月のことです。

 ネットでの「ああ、そうだったのか」が、またひとつ増えました。

     
     
 

ヘイトスピーチ規制法

 2018年(平成30年)8月

 
 

 

 
 

 右であれ左であれ、相手に対して汚い言葉を投げつけるやり方は本当に不快です。インターネットで双方向の通信が可能になったいま、コメント欄にはむき出しの悪意が凄まじい言葉となって表出されています。この数年で多少の耐性はついたものの、当初はそういうコメントを見るとすぐに頁を閉じていました。ま、しかし怒号コメントは音がしないので見なければいいだけです。

 このヘイトスピーチ法はもともとは在日の人々に対する街宣車での怒号に端を発したものだと思っているのですが、あれは確かにひどいものでした。この法律ができたときは少し首をかしげたものの、街が静かになるのならまあいいかという程度の認識しかありませんでした。

 けれど、よくよく考えてみるとこれは果たして法律の枠組で取り締まるべきものか、疑念がわいてくるようになりました。いくら取り締まったところでそれは別のところで先鋭化されるだけです。

 車を走らせてマイクでがなりたてる、たんにそれを取り締まるという風にはできなかったのでしょうか。ついでに他の宣伝カーや選挙カーも同じように取り締まってもらえれば一石二鳥です。選挙運動もそろそろ別のやり方を模索したほうがよいように思いますし。

 そもそもヘイトスピーチとは何なのでしょう。街宣車のマイクから流れる声、あれはスピーチではありません。ただの怒号です。罵詈雑言をいくら長々と羅列したところでスピーチにはなりません。スピーチというからには少なくとも何らかの文脈があってしかるべきでしょう。

 このヘイトスピーチ規制法は、残念ながら逆手に取られているような気がいたします。人の言葉尻を取り上げ、ヘイトだと決めつける。そこには文脈などというものは完全に無視されています。いくら言葉を封じたところで悪意が消え去るものでもありません。このような言葉がりによって日本語はどんどん貧しくなっているように思います。

 ヘイトスピーチと言われる怒号もスピーチではありませんが、それを一律にただヘイトだと決めつける側もスピーチという言論で対処しているようには思われません。お互いに掛け声だけでやり合っているような感じです。どうせ同じ土俵でやり合うならせめてもう少し芸のあるものにしてほしいところです。

 このヘイトスピーチ規制法については西田昌司議員がしばしば攻撃されているようですが、それは少しお気の毒なような気がいたします。というのは在日の人々に対するあの言葉の暴力は聞くに堪えないものがありましたし、あれを野放しにしておくわけにはいかないと思われたそのお気持ちは私にも共通するところがあるからです。ただ、その手段としてのこの法律はやはり不適当であったと言わざるを得ません。これは法律の枠組みの問題ではないのです。もし可能なら是非この法律の廃止を検討していただけないでしょうか。

 インターネットのコメント欄に見られる悪口雑言をみると、発言者はかなりフラストレーションがたまっていて、たまたまそこにうっぷん晴らしできる場があったものだから飛びついた、といったような感じを受けることがあります。

 思うに、人間というのは往々にして怒りの感情を本来の怒りの対象者とは別のところで発散しているような気がいたします。自らの怒りをその正当な対象者に真正面から向き合うようになればそれだけでも世の中はわかりやすくなるのではないかと思います。

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  森友学園問題    2018年(平成30年)8月  
 

 森友問題では、当初私は僭越ながら昭恵夫人に対し密かに「もう少しお立場を」という思いを感じておりました。けれど、この問題が発展していくにつれ、ひょっとしたら昭恵夫人という方はトリックスターではないかと思うようになっていきました。

 トリックスターというのは凄まじい破壊力をもっています。それは敵味方を問わず発揮する両刃の破壊力です。意図してできることではありません。良くいえば「天衣無縫」、悪くいえば「あまりにも無防備」といったそのお気質ならばこそ、はじめて発揮できるものです。

 その破壊力によってこれまで口にすることも憚られていた事柄が次々と明らかになっていきました。こういうことでもなければ踏み込めなかった領域です。トリックスターの破壊力のすごさはご本人の意識とはまったくかけ離れて発揮されることです。だからこそ怖いところでもあるのですが。

 さて、籠池氏および籠池夫人の強烈なキャラクターと行動により争点が逸らされてしまいがちですが、核心となるのは、問題の土地が不当に減額された、それは昭恵夫人が示唆したからに違いない、という野党およびメディアの主張がいまだに証明されていないということです。

 そしてその不当と主張される減額について、それが果たして本当に不当だったかどうかについても野党は何も証明しておりません。

 対象となる土地はもともと隣の野田公園と合わせて一筆の土地であったという事実、そしてその野田公園の売却経緯を見れば森友学園の土地はちっともおかしな減額ではありません。もし入札していればゼロ円からスタートしてもいいぐらいだったと聞きます。最初から入札にしていたら何の問題もなかったのに、単に入札にしなかったという事務処理上のミスがここまで尾を引いているのです。

 そしてそこから財務省の書類改ざんという問題にまで発展していきました。これはこれで徹底的に追及していってもらいたいものです。

 森友問題でひとつ学んだことは国有地の問題です。国有地というのはしばしばかなり込み入った地歴をもっているものらしく、ややこしいがゆえに国が買い上げざるを得なかった土地だったともいえるでしょう。近畿財務局はそのややこしい土地を売ってしまいたかった。その売買でなまじ欲を出したのか、いえ、そうはいえませんね。これは個人的な欲のためにやったことではないでしょうから。よくわからないのですが、高く売ればお国のため、などというような価値判断が近畿財務局にあったのでしょうか。

 それはともかく、ゴミその他いわくのある土地を、結果として、近畿財務局は売った金でまた買い戻したことにより金銭的損失は全く被っていないそうです。で、結局残ったのは相変わらずややこしい地歴を残したままの土地ということになりました。学校になっていれば一応リセットしてまた新しい地歴に塗り替えられたでしょうに。

 そしてこの国有地という用語から払い下げというテーマにつながっていきます。出てきたのは朝日新聞の国有地取得に不思議な過去があるということです。

 私はべつにこういうことを追っていたわけではありません。ただ森友問題から飛躍して「朝日新聞は森友のことなど言える筋合いか」、という記事がどんどん現れ、その既得権の不当性が取り沙汰されている記事を読むようになりました。あまりにも専門的なので私などが説明できるものではありませんが、要は等価交換、それはあり得ないでしょう、というものです。

 で、このようなところにまで発展するに至ったのはひとえに昭恵夫人が森友学園で講演されたことに端を発しているのでしょう。森友学園では園児たちに教育勅語を暗唱させていたといいます。私自身はそういうことは好きではありませんが、しかし、日の丸、君が代を敬うな、という教育が許されるのなら、日の丸、君が代を敬え、という教育だって許されるべきでしょう。ひとつの学校が右翼的だというだけでここまでヒステリックにバッシングするメディアにこそ私は恐怖を覚えます。

 ちなみこの機会に初めて教育勅語なるものに目を通しました。

 驚きましたねえ。籠池氏はご自身がこの教育勅語の精神に則っているとお考えなのでしょうか。とくにこのくだり、現代語訳になりますが;

父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為(ぜんりょう うい)の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。


 天皇が御幸されたという虚言を弄し、白紙の札束をこれみよがしに見せつける、そのような籠池氏のふるまいと、この教育勅語との間に、どのような接点があるのでしょうか。

 

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  拉致問題     2018年(平成30年)8月  
     
 

 拉致問題を初めて取り上げたのは産経新聞だとのことですが、私個人はどの雑誌だったか記憶が定かではありませんが、ある週刊誌で知りました。もう40年も前のことになるかもしれません。「最近柏崎の海岸でアベックが頻繁に蒸発する、北朝鮮に拉致されたか」、といったタイトルだったと思います。当時私はまだ若い娘でしたが、ちょっと気負って男性向け週刊誌にもよく目を通していたのです。

 最初にその記事を見たときの印象をはっきり覚えています。「なんとまあ途方もないことを。これだから週刊誌は信用できないんだ」と思ったものです。

 しかし、その後、同じような記事を度々目にするようになり、特に関心をもったわけではありませんでしたが、え、ひょっとすると、これは本当のことかもしれない、と思うようになっていきました。おそらく横田ご夫妻が登場されてからのことでしょう。むろん蓮池さんたちが帰国されたことは決定的です。

 拉致事件は今や報道量も増え、ああ、そうだったのか、と、驚かされることが多々ありますが、最近になって知ったことでショックだったのは、有本恵子さんの事件です。重村智計(しげむらとしみつ)氏によれば、有本さんはデンマークから北朝鮮に連れていかれ、平壌で家族宛てに無事を知らせる手紙を偶然知り合った日本人に託し、その手紙が家族のもとに届いたということです。驚いた家族はその手紙をもって土井たか子氏の事務所に赴き助けを求めました。土井氏の返事は、

「騒ぐと殺されますよ」。

 土井氏の返答は無情なものでしたが、ただ、これは当時の外務省も同じスタンスだったと言います。いずれにしろご家族にとっては絶望的な思いだったことでしょう。この話自体もショックでしたが、その手紙のコピーが北朝鮮に渡ったと聞いたときは本当にぞっとしました。まさか、そこまでするとは。

 私は兵庫県の出身ですので、土井さんには親しみを感じておりました。神戸では、まあ自民党よりは社会党のほうがまともだろう、と思っていた人は多かったと思います。私個人は社会党の凋落以前にすでに政治には一切関心をもたなくなっていましたが、それでもご家族の方々が社会党に助けを求めた気持ちはじつによくわかるのです。神戸であれば土井さんに、そう思う気持ちがわかるだけにじつにやりきれない思いがいたします。私だって当時同じ立場であれば同じことを考えていたと思います。だって、自民党ではどうにもならないから、と、それは加戸前知事が民主党にすがったのと同じ思考です。

 民主党政権になったとき、あまり評価はできなかったものの、私は少なくとも拉致事件だけは解決に近づくだろうと漠然と考えておりました。民主党政権はなんとなく北朝鮮との親和性がありそうだし、それこそ「話し合い」ができるのではないかと思ったのです。

 まことにおろかな期待でした。

 拉致事件について比較的最近になって知ったことでショックだったもうひとつのことは、蓮池さんたちの帰国が一時帰国の予定だったということです。確か二週間かそこらでまた北朝鮮に戻るという約束になっていたということで、そしてその約束通り「帰れ」という日本人がいたということ。また蓮池氏らご本人たちも「北朝鮮に帰りたい」という言葉を口走ったとも聞きました。

 これはもうなんという残酷さ。

 もし帰国者の方々が北朝鮮に帰りたいと口にしたとすれば、それは「恐怖」から出たものに違いありません。自国にいながらにして他国から侵入してきた外国人に拉致され、日本政府は何の手立てもうってくれなかった。そのような人々が日本に帰ってきてそれで安心できるはずはないでしょう。そして北朝鮮の意に反し日本に残ったとしても、再び連れ戻されるような事態になれば今度こそどうなるかわからない。

 だからといって、本心で北朝鮮に帰りたい、と、思うわけがないではありませんか。

 それはもう凄まじい恐怖とジレンマであったのではないかと推察いたします。

 同じようなジレンマは現在多少とも希望の出てきた残りの拉致被害者の方々にも当てはまることでしょう。さらに長い年月を北朝鮮で過ごし、そして現代の日本に戻ってこられたとすれば、そのギャップはさらに飛躍的に大きいものになっているはずです。拉致被害者の方々が戻られれば現代の日本社会への適応にかなりの時間を要されることでしょう。何よりも必要なことは、日本にいて安心だと思えること、それにつきると思います。いつか近いうちにそれが実現できますように。

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  加計学園問題         What is Kake Issue?  

 2018年(平成30年)8月

 

 

 加計学園問題は、そもそも2017517日付の朝日新聞が出してきたメモから始まりました。その出し方はとても報道機関のものとは思えません。証拠となる文書にシャドウをかけるとはどういうことでしょうか。

 問題とされている箇所は「これは総理のご意向だと聞いている」という部分だけです。いったい誰が、どこで、いつ、誰に聞いたのか、まったくわからないメモです。そもそも、何が総理のご意向かもわからず、それがわからない以上、当然のことながらそのご意向に何の問題があるのかも、さっぱり理解できません。

 のちにそのシャドウがかかっている部分は明らかになり、それにより皮肉にも首相の関与がなかったことが明らかになりました。にも拘わらずこの一連の騒ぎ。

 私はまず高橋洋一氏の時系列での経過説明から、この件は民主党時代に加計学園の獣医学部の設置が国家戦略特区として指定されたことを知りました。それは民進党の高井たかし議員の国会質疑でも確認しました。

  ちなみにこのブログを書くにあたり、もう一度その高井たかし議員のビデオをYouTubeで確認しようとしましたら、「この動画は再生できません。申し訳ありません」というメッセージが出ました。国会中継は真っ先にパブリック・ドメインに入るものでしょうからどうも不可解ですが、アップ主の事情もおありなのでしょう。ただ、別の方がまたアップロードしてくださっているので確認はできました。国会の質疑ですから議事録も残っておりましょう。

 

 そして青山繁晴氏による加戸前愛媛県知事の参考人招致で、獣医学部の設置というのは県の要請で成されるものだということを知りました。そういう手続き上のことはまったく無知だったので、最初はなぜこの方が参考人として呼ばれたのかまったく理解できませんでした。

 

 2017710日に行われたこの加戸前知事と前川前文部科学事務次官のお二人を参考人とする青山議員の国会質疑。国会質疑を最初から最後までこんなに熱心に聞いたのは生まれて初めてだと思います。そしてこの質疑で初めて岩盤規制の「岩盤」という意味が理解できました。

 前川氏は行政のゆがみと主張されましたが、その歪みの証明はまったくされておりません。特区になってやっと申請が許される、ここでやっと申請が許されるのです。まだ認可ではないのです。前川氏は加計学園だけに認められたプロセスがおかしいのではないかと言われました。おかしいのならそれを証明なさればよいでしょう。おかしいのではないか、というだけで、その先はないのです。

 とりあえず、一視聴者としては岩盤規制の意味を理解できて非常に納得のいく質疑でしたが、主要メディアはまだ引き下がりません。

 

 で、行き掛かり上、八田達夫氏が率いる有識者会議の全録画を見ました。ここで、八田氏は一点の曇りもないと断言しておられます。

 

 そして、国会閉鎖中審査では、小野寺議員の質問から、「加計学園ありき」ではなく、「加計学園しかなかった」ということを知ります。

 

 それでもまだ京都産業大学云々の話が出ます。まあ、ここは何といっても当事者ですから何か言い分があるかもしれないと、その記者会見も見ました。その文字起こしも見ました。

 京産大側は問題なしと明確に発言しておられます。

 おまけとして義家議員の国会質疑も見ました。

 これらはすべて公の場での発言です。今、これらのビデオは高井たかし議員のビデオ同様、再生できなくなっています。けれど国会質疑ですから議事録は残っているでしょう。昨今では個人で文字起こしをされている方もおられるぐらいです。つまり、一視聴者にすぎない私ですら、つまみぐいではなく、全質疑の内容を簡単に入手できる時代になったということです。それでも主要メディアや主要ポータルサイトのニュースではまだ安倍首相と加計学園の理事長が友人であるというその一点を執拗に追い続けています。(2018年8月現在)

 加計学園の獣医学部設置に問題がある、という人たちは、これらの質疑を踏まえながら、いったいどのように整合性をもたせているのか、その論理構造は私には理解できません。

 それはもはや論理ではないのでしょう。

「そんなことをしないから友人なのです」という、しかるべき地位にある人のまことにしかるべき言葉も、「そういうことをするのが友人なのだ、そういうことをしてくれるから友人なのだ」と信じ込んでいる人々には決して届かないということが身に染みてわかりました。

 

 青山氏の国会質疑が非常に興味深かったので英語翻訳を試みました。本来ならこのセッションに字幕としてつければよいのですが、私はビデオ編集はあまり得意ではなくそこまで手が回りません。オリジナルテキストは私のホームページにありますので、志ある方はご自由にコピーなさってください。ホームページはGROHNドットfc2ドットコムです。What is Kake Issue?をご参照ください。

https://grohn.web.fc2.com/Kakeissue/AoyamaDiet.html

 ついでながらここで参考人として出席された前川氏のロジックについて示唆されるブログがありましたので、これもパブリック・ドメインにある第14回教育ワーキンググループ議事録、文部科学省ヒアリングから一部翻訳しております。オリジナルテキストと合わせてご参照ください。

https://grohn.web.fc2.com/Kakeissue/LogicofMEXT.html

 この議事録で、このようなロジックが通じる世界があるということに驚きました。もはや異次元の世界です。

 なにしろ、面従腹背を座右の銘としている、などということを公然と口にされる方です。ふつうそういうことは思っていても言わないと思うのですが、それにしても、上に対して面従腹背する人というのは、自分自身の部下のことはどう思うのでしょうか。

  自分の部下もまた自分に面従腹背していると思っているのでしょうか。それとも部下などというものはまだまだその域に達していないとみくびるものでしょうか。

 ま、教育とは世渡りの方法を教えること - 文科省のトップであった方がもしそうお考えなら、この方が学校で講義されるのもそれはそれで誰かの役に立っているのかもしれません。鉄面皮という皮の薄い薄ーいスライス一枚でもいいから欲しいと思う気の弱い人間は世の中には大勢いるでしょうから。

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